ブログ第4弾|漢らしさ、男らしさ、そしてオトコらしさへ -鈴木美帆

ブログ第4弾を書くのは、ICONfrontメンバーでトロント大学でジェンダー学を研究する鈴木美帆。このブログでは、近年だんだんと注目を集めるようになってきた、「男らしさ」について男性学の視点から分析していく。
そもそも男らしさとは何なのか、男らしさは有害なのか、男らしさはどのように変化していくべきなのか、これらの問いをもとに考察する。
執筆者情報

トロント大学 鈴木美帆(すずき・みほ)
学問領域:ジェンダー学、クィアスタディーズ、宗教学
ジェンダー系の学生団体に複数所属・運営。ICONfrontメンバー。
note:https://note.com/mmiihhoo/
Twitter:https://twitter.com/ms44410294

目次

  • はじめに
  • 男らしさとは
  • 男らしさの変化
  • 男らしさから「オトコらしさ」へ
  • 結論

 

はじめに

ジェンダー学の分野で、近年脚光を浴びるようになりながらも、未だに他の学問と比べ注目されないのが男性学(masculinity studies)である。

女性性や女性の生きづらさは注目されてきた一方で、男性性や男性の生きづらさには注目がなかなか当たらなかった。最近になって、女性の経験する”ガラスの天井”に対になる言葉として、男性の経験する”ガラスの地下室”という言葉も言われるようになってきている。

※ガラスの天井・・・女性(や、その他マイノリティ)がキャリアアップをしようとしても、ある段階までしか昇進できないこと。日本において女性管理職の比率の低さがそれを物語っている。

私自身が男性学に興味を持つようになったのは、大学で男性学の授業を取ったことから始まり、この夏は「TikTokにおけるマスキュリニティ」を大学の研究グループで研究していた。

 

という事で、今回は「男らしさ」について考えていく。

果たして、男らしさは害悪なのか、男らしさは今後どのように変化していくべきなのか、考察する。

 

男らしさとは

出典:Simone Pellegrini, Unsplash

 

そもそも、「男らしさ」というのはどういう意味なのだろうか?

 

まず、「・・・らしい」という言葉の意味を調べると、





・・・のさまである。・・・に似ている。・・・にふさわしい。

新小辞林

と解説されている。

「男らしさ」とは、”男にふさわしい性質・特徴”と言い換える事ができそうだ。それは、男性と社会で認識されるための絶対条件という事なのかもしれない。

 

日本社会で一般的に言われている「男らしさ」とは、「力強い」「我慢強い」「たくましい」「強い」などといったキーワードで語られ、身体的にも精神的にも強く、忍耐強い事を求められる一方で、弱音を吐く事や泣くことなど感情的になる事は取り締まられる。

そしてそれは同時に異性愛規範の上に成立している事が多いため、「結婚して一人前」「一家の大黒柱であるべき」といった伝統的な(という名の時代遅れな)男性像や、ホモソーシャルな集団における「彼女がいて一人前」や”童貞”を軽蔑する傾向などが見られる。

アメリカ人ジェンダー学学者のEve Sedgwickが、ホモソーシャルな社会ではホモフォビア(同性愛嫌悪)とミソジニー(女性蔑視)が存在すると言及しているように、女性は画一的な集団として捉えられ、男らしさを維持・向上させるための道具に過ぎず、同時に同性愛は男らしさを低下させる存在として軽蔑される。ここには、明らかに、集団の中で互いが互いの男らしさを取り締まり、自分の男らしさが低下してしまう事への不安感が見られるのだ。だからこそ、同性愛を軽蔑し、女性を蔑視する事で、自らが異性愛者の男性であると主張し、男らしさを強固に確立していくのではないだろうか。

 

そしてこれは、ConnellとMesserschmidt(2005)が唱えた”Hegemonic masculinity”であるようだ

【Hegemonic masculinity】
異性愛規範、をもとにした男らしさのヒエラルキー(階級)を集団の中に構築していく。そして同性愛嫌悪や女性蔑視をしながら、前述の通り、互いに取り締まる事で、集団のメンバーが特定の男性像を追い求めるような競争的風土を醸成していく。競争の中で、Hegemonic masculinityは誰も完璧に振る舞う事ができない”理想”的男性像となる。

もしかしたら、Hegemonic masculinityは男らしさを超えた”漢らしさ”とも言えるかもしれない。※ここでいう”漢”とは、「男の中の男」という俗に使われる意味を指す。

 

更にこのhegemonic masculinityが暴力で形取られ、破壊的になるのがtoxic masculinity(有害な男らしさ)だろう。

【Toxic masculinity】 抑圧的な男らしさをもとにして、女性や自分より”弱い”と決めつけた相手への身体的暴力、性的暴力などの暴力行為に及ぶ。例えば、レイプ、レイプを描いた(違法)ポルノの消費、同性愛者へのいじめ・差別、フェミサイドやホモサイドなどが挙げられる。

これらの暴力は、男らしさのヒエラルキーの上位の人々が自分の男らしさの維持と誇示のためにするだけでなく、集団の中で軽蔑された経験のある人や、”自分の男らしさを傷つけられ”自らに幻滅した経験を持つ人によって、自分の男らしさを取り戻すために、外敵という名の生贄(scapegoat)を作り、攻撃しようとすることで起きることもあるようだ。

8月6日に発生した小田急線での殺人未遂事件/刺傷事件は、これかもしれない。

 

男らしさの変化

(出典:Nick Fewings, Unsplash)

 

それでは、男らしさは害悪なのだろうか。

 

前述のhegemonic masculinityとtoxic masculinityをもとに考えれば、確かに男らしさが害悪であると結論付けたくなるだろう。

しかし、結論に飛びつく前に、男らしさをより広い視野で見ていきたいと思う。

 

男性美容クリニック・ゴリラクリニックが20代〜40代の男性826人を対象に2021年6月に実施した「男らしさと美意識」調査によると、近年、男らしさのイメージに変化が見られるという。

従来は、”力強い””我慢強い”というようなイメージが多かったところが、”優しい”がどの年代でも1位となり、従来の”力強い”などと並んで”包容力”という言葉も目立つようになった。もちろん、完全に男らしさが変化したわけではないし、この”優しい”はどのようなニュアンスで使われているかは不明だが、少しずつ変化が見られるのは確かのようだ。

 

“包容力”、”優しい”というような男らしさのあり方は、Anderson(2009)の提唱するInclusive masculinityや、Elliot (2015)のCaring masculinityに似ている気がする。

【Inclusive masculinity】
ホモソーシャルな集団の中でも、ホモフォビア(同性愛嫌悪)とミソジニー(女性蔑視)の傾向は見られず、反対にそれらを是正しようとする動きがある。互いに感情を見せ合い、サポーティブな関係を構築する。

【Caring masculinity】

支配的な姿勢は牽制され、互いの支え合い、ポジティブな感情の表現、互いへのエモーショナルサポートやケアをし合う風土を醸成する。

恐らく、上記のように振る舞う男性はずっと存在してきたはずなのだが、これまでの”理想”的かつステレオタイプ的なhegemonic masculinityのイメージが強固だったがために、これらの振る舞いや特徴が男らしさとして認識されてこなかったのだろう。

 

男らしさは画一的ではなく、多様で、masculinityではなく、masculinitiesなのだ。

そしてこの多元的な男らしさのあり方が、ようやく日本社会でも認められ出しているということではないだろうか。同時にそれは、男性像の脱”理想”化;等身大の男性に近付き出していると言えるのかもしれない。

 

つまりは、男らしさ自体が害悪なのではなく、歴史的に文化的に形成された”理想”的男性像こそを真の男性像として押し付け、その他の多様な男性像を男らしさの定義から排除してきた、この男らしさを取り巻く社会的現象こそが抑圧的だったのである、と考える。

 

男らしさから「オトコらしさ」へ

では、この変化する男らしさは、今後どこに向かっていくべきだろうか。

私が考える将来的な男らしさの方向性は、男らしさから「オトコらしさ」への変化である。

 

ここでいう「オトコらしさ」とは、男らしさの脱男性化だ。

 

今の男らしさは、シスジェンダー男性の身体と結びつき、「女性の男らしさ」は、どこまでいっても「女性が男性の真似事をしている」や「女性が男性っぽいことをしている」というように、正当に女性のものとして認められることが少ない。例えばそれは、スポーツが得意な女子を「男勝り」と形容するところからも垣間見える。

これについて、Halberstamはtrans masculinityfemale masculinityを唱え、これまでの男らしさにあった、性別(身体)とジェンダーの見えない境界線を取っ払おうと試みている。

 

結論

本来、男らしさは、等身大の男性像/生き方を反映したものであるべきと思う。

今、男らしさの押し付けなどで問題となっている「男らしさ」は、もはや男らしさではなく、抑圧的なヒエラルキーを内包した画一的な「漢らしさ」であると考える。

そこに投影される男性像は等身大ではなく、伝統的/歴史的に文化的に”理想”とされた漢である。

本来、男性像は多様であるのだから、男らしさも多様であるべきで、inclusive masculinityやcaring masculinityなどの、より多様な男らしさを認めていくことで、「らしさ」の押し付けによる生きづらさは軽減されていくのではないだろうか。

そして、男らしさは、本来、パフォームしたい人がパフォームできるものになるべきで、振る舞う人のジェンダーや性別を成立条件とすべきではない。誰の身体の上でも成立するべきである

目指すのは、「おとこらしさ」の脱漢化、脱男性化。漢らしさから、男らしさ、そしてその先の「オトコらしさ」だ。

 

まとめ

  • 男らしさの多様化:これまで画一的だった「漢らしさ」から、「男らしさ」へ。
  • 男らしさの脱男性化:男らしさに性別/ジェンダーは関係なく、誰もがパフォームできるべき「オトコらしさ」へ。

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