「女性」のエンパワーメントで取り残されない社会へ ー 鈴木りゆかさんにインタビュー


ICONfrontインタビュー第31弾では、「#みんなの生理」とジェンダー・クオータ制の導入促進の2つの活動から公正な社会を目指す、鈴木りゆかさんにお話しを伺いました。これらの活動を始めたきっかけなど、取材を進める中で、これらの2つの活動は、鈴木さんにとってそれぞれ切り離せない軸があることが垣間見えました。

ぜひ、ご覧ください!


鈴木りゆかさん

Q1. 鈴木さんはどのような活動に取り組まれているのですか。

2つあります。

1つ目が、誰もが生理を安心して迎えられるためのインフラを整えることを目指した、#みんなの生理でのアドボカシー(支持)運動で、2020年夏頃から始めました。2つ目が政治分野における法律型のジェンダー・クオータ制の導入を進めるためのオンライン署名で、この社会運動は2022年2月に始めました。

#みんなの生理でのアドボカシー運動

生理を安心して迎えるためのインフラを整えるために、3つの観点から活動しています。

①生理に関するモノへのアクセス

生理用品の無償配布・設置の実現に向けて、自治体へ要望書提出するなどのロビー活動をしています。また、活動を応援してくださる支援者の方々からの募金を活用させていただいて、生理用品の送付も行っています。公共施設全般での配布・設置を全国的に進めたいと思っていますが、学校や自治体の責任者の理解次第で実現できるか否かが大きく変わる点が難しいところです。

②生理に関する知識へのアクセス

生理の正しい知識を広めるため、SNSで情報発信をしたり、公共・民間セクターを対象にした出前講演などをしています。

③生理のスティグマの(否定的な意味づけ)払拭

最近は和らいできましたが、生理のことを話すのがタブー視される傾向がある中で、オンラインカフェを用いて生理について話し合える場を創出してきました。ここでのグラウンドルールとして、発言者が特定されたり、自分と異なる意見を持つ人を攻撃的したり、複雑なことを一般化したり、女性は必ず生理がある、生理があるから女性であるなどと決めつけたりすることがないように心がけています。

#みんなの生理では、これらの署名運動がオンライン上で行われています。

ジェンダー・クオータ制の導入を目指した社会運動

主に二つの活動をしています。

①ジェンダー・クオータ制*の導入を進めるためのオンライン署名活動

*政治分野におけるジェンダー・クオータとは、議会における男女間格差を是正することを目的とし、性別を基準に女性又は両性の比率を割 り当てる制度。3種類あり、一つは議席の一定数を女性に割り当てる制度、二つ目は候補者の一定割合を女性に割り当てる制度、三つ目は政党が議員候補者の一定割合を女性に割り当てる制度。

②意思決定者との意見交換会や院内集会でのスピーチなど

  • 意思決定者等(自民党茂木幹事長など)との意見交換会への参加
  • クオータ制を推進する会(Qの会)の院内集会での若者代表としてのスピーチ

こちらでも署名キャンペーンがオンライン上で行われています。

日本の政治にジェンダー平等を!法律型のジェンダー・クオータ制を導入してください!

Q2. それぞれの活動を始めようと思ったきっかけを教えてください。

#みんなの生理でのアドボカシー運動

生理にまつわる課題に最初に関心を抱いたのは、高校時代に1年間の交換留学をしていた時です。現地の友人と自身の「生理」に対する認識の相違に興味を持ったのがきっかけでした。友人は躊躇わずに、クラスの前で「生理だから水泳の授業を休む」と発言していたけれど、私は「お腹が痛い」という理由付けで水泳の授業を欠席しました。これも事実ではありますが(笑)本来、生理は、羞恥心を抱く対象となるべき現象ではないはずなのに、社会の成り行きでそのように考えるようになったことを振り返り、私が抱いていたある種の「恥ずかしさ」に疑問を抱くようになりました。帰国後、生理用品が必需品でありながら軽減税率の対象外とされてしまったことに驚きと違和感を覚えましたが、周りは「仕方がない」という意見を持つ人が圧倒的に多かったです。大学入学後、生理にまつわる署名運動を見つけ、参加しました。

#みんなの生理の活動への参加のきっかけは、政界と団体の活動の「橋渡し」をする政治戦略として、自分が持つリソースを還元したいと思ったからです。というのも、私はインターンシップを通して生理について議員さんと話していた経験があり、繋がりもありました。また、同団体共同代表谷口歩実さん(谷口さんのインタビュー記事)が立ち上げた署名キャンペーン「生理用品を軽減税率対象にしてください!」に強く共感したのも活動に参加しようと思った主な理由の1つです。

ジェンダー・クオータ制の導入を目指した社会運動

ICUの政治学概論という講義の一環でプレゼンをした当日の深夜に署名キャンペーンを立ち上げました(笑)政治学概論の授業の中で木部教授が前田健太郎著『女性のいない民主主義』を授業のカリキュラムの中で扱っていらっしゃいました。この講義と前田先生の高著に関するプレゼンの作成を通し、社会の中で不可視化されている声を可視化するためには適切な措置が必要であることに気づき、理論的にジェンダー・クオータ制の重要性を説得できるくらいになったタイミングで、署名キャンペーンを立ち上げることを決意しました。始めた当初は署名などのオンライン活動が主だったのですが、#みんなの生理での活動を通して得た政界への関わりがあり、その土台があったからこそ、その後対面のイベントなどに参加する機会を得られました。

Q3.活動を始めた時はどのような気持ちでしたか?

#みんなの生理でのアドボカシー運動

活動に参画し始めた当初は、ワクワクしていましたが、同時に活動する中で様々な葛藤がありました(あります)。

一つ目の葛藤は、活動を始めた当初の2020年は、生理に関するスティグマが現在より強く、生理用品の無償配布の実現などの話をすると周りからなかなか応援してもらえませんでした。アクティビストに多いと思いますが、自分が正しいと思うことを信じ、発信し続けることで、信念を持って取り組んでいる社会運動(私の場合、生理とクオータ制に関する運動)が、良くも悪くも自分のアイデンティティを形成する一部になってしまっていました。そのため、自身の活動に対する否定的な意見を受けるとあたかも自分のアイデンティティが否定されているような感覚に陥り、ひとり傷付いたこともありました。

二つ目の葛藤は、「生理の貧困」という言葉自体がある種「パワーワード」であるが故に、社会課題を広めるためには有効かもしれませんが、複雑な事情を単純化してしまう機能を持ってしまっているということです。「貧困」という言葉は金銭面を指すことが多いですが、実際は生理用品や生理に関する知識へのアクセスの困難など他にも考慮すべきことが多くあります。例えば、知識を得る機会が少ないことや、父子家庭で生理用品を購入しづらいこと、更には世帯の稼ぎ主から許可が得られず生理用品にアクセスできないケースなどもあります。また、「女性」という言葉を使うことで、性自認が女性ではないけれど、生理を経験する人の存在などがその枠組みからこぼれ落ちてしまうことが懸念されます。

ジェンダー・クオータ制の導入を目指した社会運動

こちらの活動では、不安やワクワクというより、同質性を帯びた意思決定者らと当事者不在の意思決定の在り方に対する「不満」と「怒り」が強かったです。政治の場における意思決定者らは国民の縮図であるべきはずなのに、同じような属性(例:高学歴、男性、中高年、女性のパートナーがいる)の議員が集まる傾向にあることがおかしいと思いました。

Q4.どのような時にやりがいを感じますか?

#みんなの生理でのアドボカシー運動

女性活躍・男女共同参画の重点方針』に「生理の貧困」に関する情報が記載されたことなど、自分たちの地道な活動により、政府や自治体が反応する時に多少なりともやりがいを感じます。

先ほども述べたように、「生理の貧困」という言葉に与えられた定義の対象範囲はまだ十分であるとは言えないけれど、情報が記載されたことは大きな一歩だと思っています。

また、厚労省が主体となって「生理の貧困」の実態を明らかにする調査を実施したことや、ロビー運動(各自治体への要望書提出など)の努力が実り、学校での生理用品の設置が始まったというニュースを耳にする時もやりがいを感じます。首長や各学校長の思想と理解によって、その自治体内や学校内でできることが大幅に変わってくる中で、自治体内のすべての公立学校向けに生理に関する調査を実施してくれたことなどもありました。

ジェンダー・クオータ制の導入を目指した社会運動

こちらの活動では、活動した先でのアクティビストたちとの邂逅(かいこう=巡り合い)によって「孤独感」から解放されたときに「活動を続けてきてよかった」と心底感じます。

残念ながら、ジェンダー観点から見た政治構造や社会構造への理解が不十分であることから、ジェンダー・クオータは「逆差別」や「女性に下駄を履かせる制度」などとして批判の的に晒される場面が多々あります。

___ジェンダー・クオータが「逆差別」と言われることにはどのような背景があるのでしょうか。

理由はさまざまあるとは思いますが、1つは、政治家になるのは競争率も高く性別にかかわらず大変なことであり、「能力」のある人が選ばれるべきであるという考え方が支配的であることが挙げられると思います。一見、ジェンダー・クオータの導入が女性を当選させやすくする効力を持つものであるように見えるかもしれません… ですが、日本が長期にわたって家父長制を再生産し続けてきた社会構造を持つ国家であることの本質的な意味を問うてみると、昨今における政治や選挙制度においては、男性(ここでの「男性」は、(シスジェンダーかつヘテロセクシュアルのマジョリティ男性を指す)の方が当選しやすい構造の中にいることが実態として見えてきます。

例えば、経済的な側面のお話をすると、立候補する際に莫大な供託金が必要な中、男性と女性の賃金を比べると女性の方が賃金が相対的に低く、実際には女性が政界に参入しづらい構造になっています。また、性別役割分業の観点からお話をすると、ケア労働(育児や介護など)が女性の役割として位置付けられる社会規範が根強く残るコミュニティにおいては、長時間労働かつ不確実性の高い働き方が要求される政界に女性が参入することは困難であります。精力的に政治活動を展開することで子どもとの時間を確保できなくなると、「子どもが可哀想」や「母親失格」などというレッテル貼りをされてしまうのです。

更には、2019年に実施された調査結果によると、男性の場合、妻が反対しても出馬する傾向が強い一方で、女性の場合は、夫の理解が得られないという理由で出馬を断念する人が非常に多いことが明らかになったといいます。このような、性別などの変えられない属性によって生じるディスアドバンテージを列挙し始めたらキリがありませんが、先にお話しした内容だけでも、現行の選挙制度の構造自体が不公平かつ非包括的であることがお分かりいただけるかと思います。

「逆差別である」などの批判に晒されながら孤独感を覚える中で、世代等の属性の垣根を超えてパッション溢れるアクティビストのみなさんに出会えると活力をもらえます。これまで日本におけるフェミニズム運動を牽引してきたようなパワフルな活動家のみなさんに、「若い人がこのように声を上げてくれて嬉しい。」「心強い。」「頑張りましょうね!」と声を掛けてもらえる時に上の世代の方々から、バトンを引き継いでいるようで嬉しくなります。

Q5. 活動したことでわかったこと、気づいたこと、ぜひICU生に知ってほしいことを教えてください。

活動しながら、代表者は当事者であるべきかなど、代表制の在り方に関して熟考する機会が増えたように思います。必ずしも社会の中で不利益を被る人自身が意思決定の場に置かれるべきであるとは思っていないですし、当事者じゃない人でも代弁できる、と信じたいです。それでも、#みんなの生理での活動を含め、色々な社会課題を見つめた時、やはり基本的には代表者自身の観点から政策が決まっていくことが多いなと肌感覚で感じました。当事者ではない人が当事者の声を政策に反映する際に、どれくらいの優先順位でその声が政策に反映されるだろうかと疑問に思うことが多々あります。社会の中で生きづらさを感じている当事者だからこそ見える世界、抱く感情や想いがあると思うので、その意味で、やはり意思決定の場には当事者が必要なのではないかと考えたりもします。日本語訳が見つからないのですが、いわゆるpreferable descriptive representatives、例えば当事者ではないけれど、NPOなどの活動で比較的当事者の声にアクセスしやすい環境に身を置いている人が代表者になれば、当事者の肉声を聞いているからこそ、彼女ら彼らにたいし強い結び付きを感じるようになり、当事者の声を政策に反映できる可能性が高まるのではないかと思ったりもします。まだ自分の中ではっきりと答えはないけれど、たくさん考えています。

また、代表制に関して言えば、例えば社会的地位のある人が、ある特定の属性を持つ市民らの代表者として選出されると、ますますマジョリティの声が大きくなって、マイノリティの声がより一層不可視化されてしまうと思うのです。そのため、インターセクショナルな観点から議論を展開する必要があると思いますし、ジェンダー・クオータ導入を目指す時も、いわゆるマジョリティ女性だけが政界に挑むことができるという構造にならないように気を付けなければいけないと思います。フェミニズムの文脈でも「女性」という言葉を使用する時に、「『どの』女性」を指しているのかに注意して議論を進めるべきであると思うのです。すべてを単純化し、シンプルな言葉で表現するのは簡単ですが、そうすると、必ずその「ことば」の網目からこぼれ落ちる人がいます。そのこぼれ落ちる人は、ほとんどの場合、社会的に脆弱な立場に置かれている人たち。複雑な事象を単純化するのではなく、そのまま受容する力が必要であるとつくづく思います。

Q6. ご自身が活動する分野についてのICU生におすすめの本や映画がありましたら、教えてください。

本(読みやすい/ジェンダー・クオータについて詳しく知れる)

  • 前田健太郎著『女性のいない民主主義』
  • 三浦まり、衛藤幹子編著『ジェンダー・クオータ ー 世界の女性議員はなぜ増えたのか』

映画(女性の政治参画に関して考えさせられる)

  • “Suffragette”
    • 英国における女性参政権獲得に関するノンフィクションの映画

Q7. 社会に訴えたいこと、伝えたいことはなんですか?

政治の動向にもっと関心を持つ人が増えてほしいです。個々人によるけれど、高い問題意識を持って政治活動に勤む意思決定者や、しっかりと市民と向き合って、市民の声を意思決定の場に届けてくれる、「真の意味」での代議者もたくさんいます。なので、まずは自分が住む自治体にはどんなリーダーがいるのかを確認してみてほしいです。そして、自分の属性や経験に似た候補者、応援したいと思える候補者を見つけることができたら、ぜひ選挙前のボランティアなどに参加して、応援してみてほしいと思います。実際に政治を職業とする方々とお話しする機会があると一気に政治が身近になります!

政治的判断に関して、丸山眞男氏が提唱した「悪さ加減の比較」という言葉が印象に残っています。言うまでもなく、自分と全く同じ属性で同じ経験がある、自分にとっての完璧な候補者なんて存在しません。なので、完璧を求めるのではなく、「悪さ加減の比較」をすること。これは、自分にとって正しい政治的な判断を下す上で、重要な役割を担う考え方であるように感じています。

仮にこの記事を読んでくださっている方々の中で、政治に失望して自らの選挙権を放棄してしまっている方がいらっしゃるのであれば、「悪さ加減の比較」をして、いわゆる「マシ」な政治的判断をしていただきたいです。

自らの政治的立場を持たないこと、表明しないことが、日本においては「中立」という言葉で説明されることが多々あります。教育段階において、政治を語ることを許さない風潮が強い日本においては、そのような偏重した考え方が罷り通ってしまうこと自体は、ごく自然なことであるようには感じます。ですが、よくよく考えると、それは全くもって「中立」ではなく、現行政治の在り方への加担であり、保守への加担でしかないのです。

社会的な立場により選挙権を持ち得ない方、経済的な状況により選挙権を保持しているものの自らの選挙権を行使できずにいる方など、社会の中には周縁化・不可視化される脆弱な立場に置かれる人びとが数多く存在します。

「何の障害もなく自らの選挙権を行使できる」

考え方によれば、それ自体が、ある種の「特権」でもあると思うのです。

自分が持ちうる「特権」に、より自覚的になり、それをポジティブな形で利活用する人が増えてくれたら良いなと心底思います。また、他でもない自分自身が、無自覚的に「特権」という名の剣を振りかざし、異なる他者の人権を侵害する存在になりうることにたいして常に自覚的でありたいとも強く思っています。

人は、そう簡単には変えられないので、まずは、自分自身からですね!

Q8. これからやっていきたいこと、挑戦してみたいことなどがあれば、教えてください!

現在、留学をしているので、日本に帰国したらジェンダー・クオータ制の署名活動を加速させたいと考えています。政治の内部では、超党派でジェンダー・クオータ制の必要性を確認する勉強会などが開催されていると耳にしていますし、最近では、今年の4月に行われる統一地方選に向けて、20代から30代の女性や性的マイノリティー議員を増やす『FIFTYS PROJECT』が始まっています。活動家だけでなく、社会全体として、政治の場において属性の偏りが存在するという意識は出てきていると思うので、この潮流を活かして、今後、署名を提出し、クオータ導入を必要としている人の声を意思決定の場に届けたいと考えています。市民の側からも必要性を訴えていき、政治の内外からプレッシャーをかけていきたいです!

そして、みなさんのアイデアが欲しいです!ジェンダー・クオータ導入に特化した社会運動を起こすユースにまだ出会ったことがないので、もし想いや活動に賛同してくださる方がいらっしゃれば、ご連絡ください!

一緒に活動を展開していけたら、嬉しいです!


#みんなの生理 

ジェンダー・クオータ関連

鈴木りゆかさん 個人SNS

Follow me!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA