「ICU旋風」で長く続く縁を紡いでいくー野田村にICU旋風を吹き起こす会メンバーにインタビュー!
インタビュー第27弾では、岩手県北東部沿岸に位置する野田村という村の方々と深く関わる「野田村にICU旋風を吹き起こす会」(以下「のだせん」)の設立メンバー、古谷理彩さん・土井皓介さんのお二人にお話を伺いました。
「のだせん」についての基本情報から「地域おこし」という言葉への違和感や活動を通して得た発見などをお話しして頂きました。彼らが野田村にかける想いが言葉の節々から感じられるので、ぜひご覧ください!
Q1. はじめに、野田村とはどのような場所ですか。
土井 岩手県北部沿岸に位置する野田村は人口4000人ほどの村です。荒海ホタテという美味しいホタテや、マリンローズという美しいピンク色のマンガン鉱石が有名です。また、伝統的な工法で作られる野田塩や、山葡萄なども村の名産です。
古谷 野田村は東日本大震災の被災地でもあります。沿岸の地域のほとんどが津波に流されたり、村民の中には家族を失われた方もたくさんいらっしゃる、甚大な被害を受けた村です。村内には、「津波がここまで来ました」という高さを示す目印も数多くあります。
震災から11年が経過した現在、野田村は復興されてきている状況であると思います。現在、野田村には仮設住宅で暮らしている人はいません。商業も再開しています。物理的な復興は終わっている状況です。
しかし、さまざまな野田村の方々とお話しする中で、現在野田村は基本的なインフラ復興の次のステップとして、野田村をどのような村にしていくのか再考していく時期にあると感じました。野田村のアイデンティティとも言える場所が多く流されてしまった中で、村としてどのように次に向かって作り上げていくのかを考えている方々がいらっしゃったんです。
震災を経て、元々閉鎖的だった野田村に、震災ボランティアの方々が多く訪れたことによって、「よそもの」が関わることの面白さや価値を野田村の村長を含む方々が認識してくださっています。私たちの活動は、このように次の野田村を作っていく時期に始まったからこそ、野田村の多くの方々が応援してくださっています。
野田村はエネルギッシュな人がとても多い村です。なくなったものからもう一度考えてプラスを作っていこう、自分達の村は自分達で作っていこう、という最高にカッコいい方々がいる村なんです。
Q2. 「野田村にICU旋風を吹き起こす会」さんはどのような活動をされていますか。
古谷 私たちの活動は、世間一般的に言えば「地方創生」「地域おこし」といった名前で定義されるかもしれません。しかし、あまりこれらの言葉を使いたくないと思っています。野田村に去年から関わり始めた、いわば「他者」である私たちが、「当事者」の方々とのご縁を紡ぎながら、一緒にどのような価値を起こしていけるか模索しています。
だからこそ、厳密な活動内容は決まっていません。私たちのビジョンとミッションを達成するために、「楽しんでできることならむしろ何でもやってみよう!」という余白を作りたいと考えています。
ビジョン:ICUと野田村の方々で、ずっと続く双方的な信頼関係をつくる ミッション:愛情・熱意を持って向き合い、お互いを深く理解し合える心地よい関係性を築く中で、「野田村」の良さをより多くの人に届ける |
今年は、外部者である私たちだからこそ伝えられる、野田村の魅力を再発掘・再定義するためのガイドブック作成を行いました。
ガイドブック作成にあたり、実際に野田村で合宿を行い、野田村の方々が野田村に対して感じている熱い想いをインタビューし、本来地元の人しか参加できないお祭りにご厚意で参加させていただきました。このような活動で私たちが感じた、野田村の方々の熱から浮かび上がってきた「野田村」をガイドブックにまとめました。
このガイドブックは通常の観光目的のガイドブックとは異なり、外からでは見えない「中」の野田村にフォーカスを当て、野田村に生きる人々の姿を描くことで、「野田村をただの観光目的だけでなく知ってもらいたい」「興味を持ってもらいたい」と考えています。
私たちの活動はご縁を繋ぐことを前提としているので、「野田村」を多くの方々に届けるために、実際に野田村の方々とICU生を繋げるイベントをはじめとして、ガイドブック作成後も活動を続けていきます。
Q3. なぜ「地方創生」「地域おこし」などの言葉を使いたくないと思われたのですか?
古谷 「地方創生」や「地域おこし」という言葉には、元々マイナスである部分をプラスにしていく意味合いが強いと感じています。
しかし、実際に私たちが野田村に行き、エネルギッシュでカッコいい野田村の方と関わり、お話していくなかで、「地方=劣っている再生すべき場所」という価値観に疑問を覚えました。都会にいる私たちが地方に出向き、「私たちが入るから地域のマイナスな部分がプラスに変わります」という伝え方は、地域の方々に今あるものを無視することになり、地域に今どのような素晴らしい部分があるのかという点に対してリスペクトに欠けていると思います。むしろ、私たち自身は、野田村に関わらさせていただいて、受け入れてくださってありがたいと感じています。野田村ともっと一緒になって価値を作り上げていく、フラットな関係性を築いていきたいと思っています。
のだせんの合宿後にはリフレクションという、合宿の中で感じた思いなどをざっくばらんに話してみるという時間も設けているんです。地方創生という言葉がのだせんには適していない、という話し合いも、このリフレクションの時間でたくさん行いました。
土井 正直なところ、古谷のこの地方創生に対する意見を聞くまでは、地方創生という言葉に疑問を抱かずに使ってきました。ただ、合宿などで野田村の方々と関わる中で、私たちがやりたいことは、地方創生という方向性ではなく、野田村の方々と縁をつないでいくことなのだと感じました。
古谷 私の専門は開発研究なのですが、のだせんの活動は開発研究と近い部分もあると感じています。開発途上国もマイナスとして見られ、そのマイナスをプラスに変えていくために先進国が関わっていくという前提があると思います。春学期に履修した「開発における規範」の授業において議論したことも、「現地に無いものではなく、あるものを見ていく」ことの必要性でした。私がICUで学んでいる開発研究と、こののだせんでの活動が理論と実践としてお互いの学びに活かされているのが、のだせんを始めて良かったと感じる点の一つです。
Q4. のだせんとしての活動を始めるに至った経緯を教えてください。
古谷 私たちが野田村とのご縁をいただいたきっかけは、私が昨年受講していた有元健教授の授業で野田村へのフィールドワークの募集に応募したことです。私自身、その際は「震災の被災地の現状を見て、お話を伺ってみたい」という何気ない気持ちで参加したのですが、野田村の素敵な人、綺麗な自然、美味しいご飯を知り、野田村に完全に魅了されてしまいました。その時は、野田村役場の廣内さんという方に付きっきりで案内していただき、「また来てね」「また行きます!」という会話をした上で野田村を去りました。
廣内さんは今でも私たちの活動を1番側で支えてくださり、今年度のICU祭にも来てくださいました。私たちの1番のサポーターです!
実際に活動を始めたのは、今年の2/18です。やりたい!と思った瞬間に、野田村へのフィールドワークに一緒に訪れたメンバーに連絡し、その日のうちにプロジェクトを始めることが決定しました。
立ち上げの物理的なきっかけになったのは、ちょっとオンライン授業に疲れてICU portalを眺めていたところ、JICUF(日本国際基督教大学財団)助成金の募集を見かけたことです。毎回JICUFから来る助成金のお知らせに、「せっかく助成金があるなら、自分がやりたいことができた時にぜひ申し込みたい!」と常々考えていました。
そんな時に、野田村を訪れた際に交わした「また来てね」「また行きます」の会話を思い出しました。口で言うのは簡単ですが、人とのご縁を繋ぐことって実は何より難しい。有元教授からも「次の縁を繋ぐのは君たちだからね」と言われたことを思い出し、これを私の残りの大学生活で頑張りたいと思い、プロジェクトの立ち上げを決めました。
Q5. やりがいを感じるのはどのような時ですか。
古谷 野田村の方々に、一緒に野田村を作っていく仲間として受け入れていただいた時にやりがいを感じます。何気ないことも話せてしまうような長くゆったりとした信頼関係を紡ぎたいと考えています。
ICU生の友達から「のだせん面白いことやっているね〜」とのだせんについて知ってもらい、興味を持ってもらえた時もとても嬉しいです。
また、「のだせんでよかった」「何より楽しい、居心地が良い」「こんなこともやりたい」とメンバーが言ってくれる時も本当に嬉しいです。学生が無償でやっているプロジェクトなのだから、自由に自分が楽しんでやるべきだと考えているからです。
Q6. 活動したことでわかったこと、気がついたこと、ぜひICU生に知ってほしいことなどがありましたら教えてください。
古谷 特に社会貢献に興味がある方が多いICU生に問いたいことは、「あなたが関わることによってお互いが生み出せる価値は何ですか」ということです。私たちはこの団体を通じてこの問いを終始考えています。
また、熱い想いを社会に対して持っているICU生には、大層なことでなくて全然いいので、ぜひ行動してみてほしいと思っています。
意外と行動を始めるのは簡単です。行動を行う人が少ないICUでは、行動を行うためのリソースを得られる可能性はぐんと高まります。私たちは、新メンバーの募集についても有元教授に相談していました。また、大学外にもインターネットで探せば無料の教材や参加できるプログラムも多く存在します。
小さなことでも行動してみることで、批判しているだけでは見えないことがあることが、この半年ののだせんとしての活動でわかりました。私も小さな行動が持つ大きな学びを体験しています。
多様なバックグラウンドを持ち、クリティカル・シンキングを得意とするICU生は、行動を取るより分析をする「分析者」であることが多く感じます。しかし、一歩外に出て行動をすると、ICU生の価値がより上がるのではないでしょうか。私たちのようにハードルを下げて活動を始める人がさらに増えたら、ICUはより楽しくて開けた大学になると思っています。
Q7. 社会に訴えたいこと、伝えたいことはなんですか?
古谷 「地方創生」「地域おこし」。
当たり前に使われるこれらの言葉の意味をもう一度現地を知って、考えてみて欲しいです。
地方に無いものではなくて、あるものは何か。そこに私たちが関わることによってできることは何か。このような考え方が私たちの基本理念です。
課題から思考を始めるのではなく、あるものをまずそのまま受け止めて考えることで、また見える世界が変わるのでは無いかなと思います。
___このように思うようになったきっかけはありますか?
古谷 野田村の方々と関わったことが大きかったです。エネルギッシュな地域の方々と関わる上で、「地域おこしをしてあげる」という考えには一切いたりませんでした。「一緒に何かをやらせていただきたい!」と強く思うような環境でした。
Q8. これからやっていきたいこと、挑戦してみたいことなどがあれば教えてください!
土井 のだせんは始めて間もない活動なので、今年は基盤作りに励んでいました。しかし、私たちが目指すことは縁を繋ぐことです。5年、10年、100年先の中長期的な目標を皆で話し合い、プロジェクトを進めたいと思っています。
古谷 今年の活動を踏まえて、私たちにできることは何かを徹底的に考え、活動の意義を再定義し直し、楽しく次のステップを決めていきたいと考えています。
今までは課題を解決することではなく、既に野田村にあるものにどのように価値を付与していけるかを中心に置きプロジェクトを行っていました。課題を発見し、解決するためには野田村の歴史や人々の生活、想いなどより深い理解が必要だからです。だからこそ、初年度である今年は野田村にある魅力を私たちが再発掘し、伝えるというプロジェクトを行いました。
私たちは、社会に対して何か特別なメッセージを持ったいわゆる「アクティビスト」とは少し違うのかなと感じています。まずは「野田村にICU旋風を吹き起こす会」という小さい社会を通じて、自分の作りたい心地よくて面白い居場所を作りたいと考え活動しています。いわばのだせんは、それぞれの価値を勝手に持ち寄って勝手に面白い化学反応が起こって、勝手に価値が作られていく砂場のような場所であって欲しいと考えています。
今年一年のガイドブックの作成や、野田村の方々とお話しする中で、野田村にある変化の可能性が少しずつ見えてきました。例えば、「野田村に雇用先がないため、外に働きに出ざるを得ない。日中に村の人々で集まって、働きながらコミュニケーションが取れたらもっと楽しいのに。」といったニーズが浮かび上がってきました。
このようなニーズを受け、私たちでは、野田村の名物であるホタテの加工産業を作ることなどを通じて、その課題を解消できる打ち手を一緒に探していくことも活動としてできるのではないかと話しています。
しかし、私たちの最終的なゴールは、野田村とICU生とがお互いに支え合って価値を作っていけるような関係性を長くに渡って築くことです。その過程の中で、野田村の課題を解決する一助に私たちがなれれば、とても幸せなことだと思っています。
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